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中世の堺に「茶園」があったことが当時の文書からわかりました

2012.12.10

 

 

弊社会長が大和川の付替え工事についての集まりに参加した際、
配布された大徳寺文書の抜粋の中に、「茶園」という文字を見つけました。
我孫子屋次郎という堺の豪商が文明三年(1471年)、
大徳寺に寄進した五箇荘(現在の堺市北区)の土地のことが説明されている中に
「茶園」の文字が見えます。

 
※「大徳寺文書」は臨済宗大徳寺派大本山大徳寺(京都市)が所蔵する中世・近世の古文書です。
内容は、ほとんどが大徳寺が中央や地方で獲得した土地・荘園にかかわる訴訟文書、寄進状、売券などで中世の法制史や経済史等の多くの研究資料となっているものです。

 

(大徳寺文書 1229号)

 

 

 

今では、この地区に茶畑があったことなど想像もつきませんが
500年以上前には確かに存在したことが、この記録からわかりました。
武野紹鴎や千利休、山上宗二などの有名な大茶人達が
これらの茶園の茶を喫していたことも想像に難くありません。