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堺とお茶

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堺とは

古墳時代から様々な文化が渡来した大阪・堺は、その後、商業・文化の交流地点として発展し、堺町衆と呼ばれる商人の街が形成されました。その中の一人として茶聖・千利休という偉人が排出されました。

近隣に商家、老舗も多くあれば、競って良質のものを生み出す風土ができ、今日に至るまで、老舗、職人の町堺として 全国に知られております。

堺市提供

千利休

二人の天下人、信長と秀吉に仕えた茶道千家流の始祖、千利休。 彼の生家は、戦国時代の和泉国・堺の納屋業「魚屋(ととや)」という商家でした。

その当時の堺は、戦国時代にも関わらず大名に支配されない、商人が自治をおこなう小さな独立都市でした。 当時の商人は、優れたビジネスマンでもあり、優れた文化人でもありました。 利休は、茶の湯の世界に、「不足の美」(不完全だからこそ美しい)という考えを採り込み、“侘び”“さび”を求めました。

秋に庭を掃除していた利休は、落ち葉をきれいに掃き終えると、最後に集めた落ち葉からひとつかみとり、バラバラと庭に撒きました。 「せっかく履いたのにどうして?」と人が尋ねると「秋の庭には、少しくらいの落ち葉があるほうが自然で良いものです」と答えた逸話が語られています。

天皇から「利休」の号を賜った(それまでは宗易)ほど、権力の中枢にいた人が求めた“侘び”“さび”とは、どんなものだったのか、利休のふる里「堺」で探してみるのも一興ではないでしょうか。

堺市博物館蔵

堺とつぼ市

堺は古墳時代から渡来文化の拠点で、海外の最先端の文化がいち早く入ってくる土地でした。茶を楽しむ喫茶文化が日本に輸入された時、堺の貿易商人がこぞって生活に取り入れ、町衆の喫茶文化が華開きました。喫茶文化が広く愛された土地だからこそ、堺は千利休や山上宗二をはじめとした多くの歴史的に重要な茶人を輩出することができたのです。

この堺の地に、嘉永三年(1850年)、谷本市兵衛が「“やま”市」の屋号のもと茶の貿易と茶問屋を創業しました。それから現代にいたるまで、つぼ市はお茶文化のパイオニアとして事業を続けております。これからも日本の暮らしに根付いた「堺のお茶」文化を世界に発信し続けます。

戦前から残るつぼ市の社宝、茶の看板
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